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平安時代末期、出羽・陸奥の国に100年に余る栄華を築いた奥州藤原氏..

彼らの残した中尊寺をはじめとする寺院や遺跡群「平泉文化遺産」が今年6月に世界文化遺産に登録されたニュースは東北に住む者にとって大変嬉しいものでした。

最近、平泉を訪れる観光客の増加とともに、藤原氏と我が街大館市との関係が一躍注目されてきています。



清衡・基衡・秀衡と続いた藤原氏も4代目の泰衡によって終わりを迎えます。
鎌倉幕府に追われ平泉に身を寄せていた源義経(幼名牛若丸)を兄頼朝に屈服して自害に追い込んだ泰衡は、結局、義経を匿った罪で頼朝に追われるはめになり、蝦夷(えぞ)へと逃亡を図ります。

その途中、出羽の国比内郡贄柵(現秋田県大館市)領主の郎従河田次郎を頼り立ち寄ります。
しかし河田次郎は、自らの兵を使ってあたかも鎌倉軍に取り囲まれたように偽装し、泰衡を自害に追い込んでしまいます。
栄華を極めた藤原氏の終焉はこんなにも哀れで寂しいものでした。

IMGP2387s-ブログ

首の無い泰衡の遺体は地元の里人によって錦の直垂に大事に包まれて埋葬されたことから、錦様として現在まで祀られています。
私の家から車で10分くらいでしょうか、大館市二井田地区に今も残る錦神社がそれです。

IMGP2388s-ブログ

一応手を合わせてきました。

奥州藤原氏終焉の地として、ここを訪れる歴史ファンが後を絶たないそうです。

そして落ちのびた泰衡を追ってきた妻は、この地で夫の悲報に触れ、嘆き悲しんだ末に自害しました。
里人はそれを哀れみ、夫人のために五輪の塔を祀ったといわれています。
近くの比内町八木橋部落にある西木戸神社です。

出羽の国の後三年の役(秋田県横手市)の勝利で築き上げられた奥州藤原文化は、皮肉にも同じ出羽の国でその歴史の幕を閉じることになってしまいました。

~夏草や兵どもが夢の跡~
藤原氏終焉から500年後に平泉を訪れた松尾芭蕉が残したあまりにも有名な句です。。

まだまだ続きますよ、大館市の歴史探訪シリーズ。。。
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