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本ブログで何回ともなく記事にしている地元出身の「小林多喜二」。。

多喜二の命日にあたる2月20日に色んなニュースが飛び込んできました。

※ディープですよ(笑
毎年多喜二の命日に地元で行われる「多喜二祭」。。

20日、JR下川沿駅前にある生誕地碑前で今年も地元住民や教育関係者が参列し多喜二をしのびました。

21日の県多喜二祭は今年で50回を数え、生誕地碑保存会も表彰を受けたようです。


同じく21日には、碑のすぐ近くにある下川沿公民館の新築完成を祝い竣工式が行われました。

この公民館では以前から多喜二の著書などを展示していたんですが、新築に伴い新しく紹介コーナーを設け、保存会が保管している初版本をはじめとする著書40冊や幼年期や小樽での学生時代の写真、東京での作家時代の写真入りポスターなどを展示、また会議室の「多喜二文庫」には80冊の関連図書をそろえたそうです。

近々見学に行ってみます。



まっ、ここまではなんてことはない普通の紹介記事ですが、これからが徐々にディープになっていきますよ(笑


奇遇にも多喜二の命日20日の夜に飛び込んできた衝撃のニュース。。


























多喜二


特高警察の拷問で死亡し自宅に運ばれた遺体を囲む母親のセキさんや親族らを撮影した写真の原板(ガラス乾板)が20日までに東京都内で発見されました。

作家仲間らが遺体を囲んでいる写真は有名ですが、同じ時間に撮影されたと思われる上の写真のカットは今まで存在が知られていませんでした。

撮影者は日本プロレタリア作家同盟のメンバー貴司山治氏と判明。
氏の長男でプロレタリア文学研究者の伊藤純さんが遺品の中からから見つけたそうです。
昭和8年2月21日深夜から22日未明の撮影とみられるとのこと。

この写真の他に、例の有名な写真や三回忌の様子など、数十点の原板も併せて見つかりました。

多喜二の通夜・告別式は厳しい監視下の中で行われたようで、写真のブレは危険を冒しての撮影だったことを伺わせます。

特高の多喜二への憎しみは凄まじく、葬式に参列した者を式場で逮捕する徹底ぶりだったと。。

この時文学界は自分に火の粉が降りかかることを恐れ誰もが沈黙した中、志賀直哉だけが暗澹(たん)たる気持を記した手紙を多喜二の母宛に送っていたと。。

中国の魯迅も弔詞を届けたみたいですね。。


ここからがディープな世界へと...

えっ、まだあるのって!!(笑


この写真を拝見した時に一番先に頭に浮かんだのは、多喜二の父の兄の曾孫にあたるkobaさんが以前コメントで教えてくれた、母セキさんと一緒に遺体を引き取りに行った小林市司氏がこの中に写っているのかということでした。

kobaさんのサイトを見ると、多喜二家の本家で、多喜二の祖父の兄である10代目小林多治右衛門氏の直系の曾孫である市司氏は多喜二が亡くなった当時東京に住んでおり、二人だけが身内ということで病院に安置されている遺体との対面を許されたと記しています。

ですので多分この中にいるんでしょうね。

プロレタリア文学・芸術研究連盟というサイトに当時の同志たちの証言が克明に記されています。

あまりにも生々しくて読むのも辛くなる内容ですが、印象に残ったのは、火葬場までの道中、多喜二の同志達は警察の監視が厳しくて近寄れない中、多喜二の家の両側の普通の人家、町家の人々が皆、家の前に出て、赤布に覆われた柩に向い粛然として頭を垂れたというくだりがグッとくるものがありました。

ここからは解説文みたいになりますが、もともと川口の小林家筋には小林重右衛門家(以前重右衛門堰記事で紹介)とそこから分家した多治右衛門家が大きい地主としてあります。両家からは下川沿村の村長が多く輩出されており、多治右衛門家の直系、市司氏も多喜二の死後暫くして村長になっています。

ちなみに、小林重右衛門家と多治右衛門家のほぼ中間地点に多喜二の生家があります。

関連して、多喜二の父の兄慶義氏の次男俊二氏は市司氏の従兄弟クニさんと結婚。その夫婦の長男正俊氏(三星初代社長)の娘の結婚式の際に本家を代表して市司氏が出席してるようです。

多喜二家は皆小樽に渡っているので直系家筋は川口では無くなってますが、市司氏の家は(家屋は無くなってますが家筋はどうなっているかわかりません)ノースの家とも近く、今回の突然の写真公開に、極めて近所に住んでいた人の昔の出来事に関心を持たざるを得ませんでした。

いずれにしても今回発見された写真は資料的にも貴重なものになりそうですね。。


ここからは余談の部分です。   (笑&汗..

前出の北海道苫小牧にある三星は多喜二の叔父慶義氏が小樽で創業した店です。

ホームページには多喜二のコーナーもありますね。

もしかしてkobaさんのご実家でしょうか?

北海道では有名なお店のようですが、エグザイルのせいで今このお店が大変なことになっています。(笑

今は切り込みが入ってるのでそうでもないようですが、昔は本当に「日本一食べづらいお菓子」だったようですよ(笑

ノースも一度kobaさんからいただいて食べたことがあります。

美味しかったな~!!

kobaさん、また送ってくれないかな~(笑

約束まだ果たしてないので無理っぽいですね(秘&汗


もう一つオマケを...最後ですよ!!(多分ここまで見てる人いないと思うけど(笑)

前出の小林市司氏が東京にいた理由は、大館市の鳥潟家から出た工学博士、鳥潟右一氏が設立し自らが校長となった夜学の東京工学校の理事長兼事務長として勤務していたからだったようです。

この鳥潟右一博士...

知る人ぞ知る存在であります。
29歳という若さで勲五等雙光旭日章を受けています。

多喜二の祖父小林多治右衛門の直系卑属で孫の小林イクさんが鳥潟家に嫁いで生れた長男が右一博士であります。

どうやらこの関係が市司氏と右一博士との接点のようですね?。。

多喜二の叔父が多喜二の兄多喜郎を最初に呼び寄せ小樽の学校に通わせたのも右一氏の成功がきっかけだったといわれています。

ノーベル賞の選考基準の改正前に亡くなったので、もう少し長生きしていれば日本初のノーベル賞受賞者となっていたかもといわれる鳥潟右一氏のことや鳥潟家のことを近々記事にしてみようと思っています。

お付き合いありがとうございました(笑

へばな!!
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