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暫く空いちゃいましたが前々記事からの続きです。

小林多喜二の本家から鳥潟家に嫁いだ小林イクさんの長男「鳥潟右一」がもしや日本初のノーベル賞受賞者となっていたかも?ってなことを前々記事の結びにしてましたが、今日はその右一博士をはじめ何人かの天才を生み出した鳥潟家に始まる我が大館市の歴史人物を巡る相関図をお届けいたしましょう。

今回もディープなお国自慢ですがご勘弁を。。

まずは前出の鳥潟宇一氏

26歳の時に鉱石検波器を発明。明治45年には29歳でTYK式無線電話器なる現在の携帯電話のご先祖を発明したお方です。
簡単に言うと世界で初めて電波に声を乗せた方なんですね~凄いですね~!

ノーベル賞の選考基準の改正前につき、もう少し長生きしていれば日本初のノーベル賞受賞者(物理学)となっていた可能性が高いと巷では言われてるらしいです。

そして、右一氏より6年前に生まれた鳥潟家17代目の鳥潟隆三博士も凄い方のようです。

最近の地元新聞の特集記事によると、1939年に医学生理学でノーベル賞にノミネートされていたようです。
日本では16番目、秋田県では第1号のようです。

野口英世博士も9回もノミネートされながらついに受賞に至らなかったようですね。

他には江戸時代に外国で活躍した国際的軽業師の鳥潟小三吉氏も鳥潟家から出ています。

名門の鳥潟家の邸宅は現在は市に寄贈され、鳥潟会館として無料で見学することが出来ます。

ノースもこの鳥潟会館に一度だけ行ったことがあります。

2011年9月の過去記事で紹介した松峰神社に登った後、すぐ近くだったので立ち寄ってみました。

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思えばこの日は色んなところに出かけていたんですね。

栄華を築いた奥州藤原氏終焉の地(過去記事で紹介)と近くにある江戸時代中期の思想家の安藤昌益の墓にも。。

安藤昌益さんのことは後でじっくり紹介することにして、鳥潟隆三博士に話を戻しましょう。

隆三博士の京都帝国大学の進学を勧めたとされるのが、現在の故石田博英代議士邸のローズガーデンに住居を構えていた自然科学思想史「狩野亨吉」なるお方のようです。

狩野亨吉氏、なにやら夏目漱石の「それから」の代助や「吾輩は猫である」の苦沙弥先生のモデルとなった方のようで、前出の安藤昌益の著書『自然真営道』を見出した研究者としても知られています。

氏は昭和天皇の教育係を命じられるも、自分の思想が危険であるとして辞退しているみたいです。

その亨吉氏の父親が「狩野良知」という幕末頃に活躍したお方で、長州藩士の吉田松陰が東北遊学の折に大館に立ち寄った際、良知氏の思想に感銘し、幕府の鎖国政策を批判した氏の著書「三策」を持ち帰って松下村塾からこの本を出版しています。

松下村塾といえば現在放送中のNHK大河「花燃ゆ」で、塾生の久坂玄端、高杉晋作、伊藤博文らの有名どころが揃うようになり、今日の放送では前原一誠が加わる模様で、だんだんと面白くなってきましたね。

松下村塾の画像です。

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今年は長州山口県もご覧のとおり雪が.....

ってなわけはありませんね!

はい、これは我が町にある松下村塾の模築なんです。

昭和59年、当時の安田生命相談役で松陰の熱烈ファンであった竹村吉右衛門氏が所有地を振興財団に寄付して竣工されたものらしいです。

場所は大館新明社のすぐ脇にあります。

存在は前から知っていましたが、大河の放送もあって出かけてみました。

雪が消えれば中に入れるようなので近々行ってみようと思っています。


多喜二からようやく吉田松陰まできましたね(汗

いよいよ最後の安藤昌益さんのご紹介をいたしましょう。

前出の狩野亨吉氏は同じ大館出身の安藤昌益の思想に共鳴していたと言われています。

マルクスの生まれる100年以上も前に生まれた安藤昌益は、全ての身分の廃止、君主制の否定、全ての人間が農業だけで生活することで平等な社会が生まれるという共産主義に似た思想を確立した江戸中期の人です。
レーニンも氏の著書を読んで驚愕したと言われています。

昌益氏の詳細は42歳で移住し医者として働いた青森県八戸市「安藤昌益資料館」にお任せするとして、本記事が小林多喜二から始まり安藤昌益で終わるという偶然にも思想的に共通する部分が重なったことは、我が町にそのような思想が生まれる土壌があるのかもしれませんね。

初代大館市長もだし、その後も革新系の市長が誕生したり、鉱山の町として労働組合が強かったりとか。。

ノースは保守系路線ですけどね(笑

56歳で地元の二井田に戻り60歳で無くなった昌益の墓です。

s-IMGP2390.jpg

奥州藤原氏終焉の地から数十メートル離れた場所にひっそりとありましたが、お花が飾られていました。

ちなみに昌益氏の末裔で氏と全く同じ名前の方が高校の一つ上にいました。

お国自慢も甚だしいディープな記事にお付き合いいただき有り難うございました。

へばな!
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