上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
ジャックス


沢田聖子ちゃんの曲を聴く毎日が続いてますが、全然飽きません。

むしろ他の人の楽曲が色褪せてしまうような思いにまでさせてしまう彼女の才能にあらためて感服しています。(褒め過ぎかも..笑)

そんな中での昔のアナログLP聴き直しの為のレコード収集過程で引っかかっていたアーティストのCDを買ってみました。

早川義夫 「この世で一番キレイなもの」。。
DVC00007.jpg


昔のフォークLPをあらためて聴くにも関西フォークとかのアングラ的アーティストは敬遠していた中、前から気にかかっていた早川義夫さんと佐々木幸男さん。。

2人の曲を動画サイトで聴き比べ、セプテンバーバレンタインの佐々木幸男さんの曲より、多くのアーティストがカバーしている「サルビアの花」を作った早川義夫の曲に惹かれました。

過去記事で紹介してたサルビアの花。。

「待つわ」と「白いページの中で」とともに一番好きな曲(五輪真弓/少女は別格)と称して紹介してますが、作曲者の早川義夫さんのことはあまりよく知りませんでした。

かなり前にNHKの歌番組でピアノを前に腰を上下して歌う「サルビアの花」を見て驚いた記憶とジャックスというグループに所属していたことを多少わかっている位。。

そんな彼の曲を聴きながら彼の歴史なりを調べてみるにつれ、段々と彼の素晴らしさに引き込まれてしまいました。

まずはCDタイトルにもなっている「この世で一番キレイなもの」を...
ギターは永井龍雲さんでしょうか?




1968年にデビューし、オリジナルな音楽性、そして早川氏の狂気を秘めた歌声と異様で繊細な歌詞が一部のマニア的ファンにしか理解されないまま翌年に解散した伝説のグループ「ジャックス」のリーダー。

解散後に岡林信康、加川良らのディレクターをやりながら「サルビアの花」の入ったアルバム「かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう」を残して本屋に転身し、1994年に「この世で一番キレイなもの」で復帰するまで23年間音楽活動を停止していた彼。。

その間にジャックスは日本のロックの先駆者として高い評価を受けるようになり、早川自身のロックスピリッツも岡林信康に受け継がれ、岡林のバックでデビューしたはっぴいえんどの日本語ロックの誕生へと繋がっていったようです。

日本のロックの始祖と称される早川さんが何故に音楽活動を再開したかはよく分かりませんが、LP収集の過程で買おうか迷った「かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう」は実におどろおどろしてアングラ的のようだったし、気持ち悪い人形を抱いた少女のジャケットもすごく気持悪くて、結局食指が動いたのは音楽活動再開後初のCD「この世で一番キレイなもの」でした(笑

アングラ劇場、前衛舞踊、現代音楽に全く興味を持たないノースですが、どうしたことでしょうか、早川義夫さんの世界はなんとも言えない惹かれるものがあります。

心の中にどんどん入ってくる歌詞とメロディ。。

こういうのが好きなんです。

でも、聴く場所と時間を選びますね、決して一人以外では聴いてはいけないとか(笑

現在もCDリリース、ライブ等、積極的に音楽活動を続けてられているようで、秋田でも彼の熱烈なファンの方達がライブを企画したらしいのですが、その一週間前に発生した東日本大震災のために泣く泣く中止したとの記事がありました。

その記事で企画した方達が後に中止となったことを悔んだ理由が語られています。早川氏とともに長年活動を伴にしてきた佐久間正英さんと一緒のライブを秋田では実現することが叶わなくなるというものでした。

この佐久間正英さん、伝説のバンド「四人囃子」のベーシストという元々ミュージシャンなのですが、30年以上にわたり日本の音楽シーンをけん引してきた超有名なプロデューサーでもあるらしく、BOOWY、JUDY AND MARY、GLAY、エレファントカシマシ、THE BLUE HEARTS、くるりなど、錚々たるバンドが、佐久間氏によって才能を開花させたとあります。

人気プロデューサー故にかなりのオアファーも断らざるを得ない状況の中で、後にも先にも佐久間さん自らがプロデュースを申し出た人が早川義夫さんだったようです。

高校生の時に出会ったジャックスの音楽が彼にかなり影響を与えたらしく、憧れの早川さんが音楽業界に復帰した後に一緒にユニットを組み、プロデューサーの仕事の合間をぬってずっと行動を共にしていたのですが、2013年8月にスキルス胃癌であることを公表し、翌年1月に亡くなってしまいます。これが秋田での二人一緒のライブが叶わぬ夢に終わった理由であります。

秋田のファンの方達にとっては本当に残念だったでしょうね。

佐久間さんが亡くなる少し前に、日本文化・文学を専攻するアメリカの教授らがシカゴ大学で研究発表会を開催する折りに、早川さんの表現する世界を研究する諸教授らの招きで早川さんとともに公演を行っています。

転移した脳腫瘍の手術から少しのリハビリをしただけで医者の制止を振り切り渡米した佐久間さん。

尊敬する早川義夫さんの晴れの舞台をサポートせねばという気持だけだったのでしょうね。

腫瘍摘出手術前の塩釜のライブの時の心境を、「自分はこの人の歌のために音楽をやってきたのではないだろうか。この人と出会うためにギターを弾き続けてきたのではないだろうか」とご自身のブログに綴っています。

そして佐久間さんの遺作「Last Days」を含むコンピレーションアルバム『SAKUMA DROPS』のサイトで早川さんが彼について次のようにコメントしています。

佐久間正英さんから、「あれ?何で俺はこんなことが弾けるんだ?何でこんなに自由に演奏できるんだ?」と言われたことがある。「自由に弾ける」ということは、いったいどういうことなのだろう。おそらく、ふたりの間には言葉を交わさずとも、同じ音楽が流れていたのだと思う。早川義夫

お暇だったら...

ハロー・グッバイの日々~音楽プロデューサー佐久... 投稿者 arty0807


生れた時から出会うことが運命だったと思わざるを得ない二人の関係。。

佐久間さんが命を懸けてまで誠を貫いた早川義夫という人にすごく興味が湧きました。


一方、早川義夫×佐久間正英×HONZIというユニットで長年ライブ活動を共にしてきた女流バイオリニストのHONZIさんも2007年に亡くなっていて、早川さんは翌年に彼女への追悼アルバム「I LOVE HONZI」をリリースしています。

相次ぐ2人の盟友との辛い別れによって、彼の歌がもっと奥深いものへと進化するに違いありません。


PS:

関連して、作詞家の森雪之丞さんの記事から..

早川義夫さんが歌を歌わず、中学生の僕がジャックスというバンドに出逢わなければ、森雪之丞という作詞家は存在しなかった。
早川さんから「詞を書いてくれませんか?」と夢のようなお誘いを受け、感激と緊張と興奮の中で書きあげたのが『天使の遺言』である。

その歌をどうしても自分のものにしたいと願った方が歌う「天使の遺言」。。




憧れの人を前に、佐久間さんとおんなじですね!!


お友達で音楽通のheraさんあたりは早川さんのことを前から詳しく知ってるんじゃないかと思いますけど、自分としてはネット時代でなければこの手の音楽に到底出会うことは無かったと思います。

リスペクト云々の一言で片づけられないような深い敬愛を受ける早川義夫さんの歌に今更ながら出会えたことに感謝です。。

Secret

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。