ジャックス 中津川
            (ジャックス最後のステージ/1969年第1回全本フォークジャンボリー/早川義夫と木田高介)


6月に収集した昔のアナログレコードアルバムに偶然にもジャックスのメンバーが大きく関わっていたのを知り、今日は彼について綴ってみたいと思います。

(以下敬称略)

不世出の天才、早川義夫率いるジャックスにはもう一人の隠れた天才「木田高介」がいました。
本名、桂重高。

東京芸術大学在学中のジャックス時代は当初ドラムを担当、つのだひろ加入後はサックス、フルート、ヴィブラフォンを担当しています。

ジャックスの唯一無二の音楽性の実現には、木田のセンスと才能によるところが大きかったと言われています。

解散後は、早川はディレクター、木田は六文銭に一時在籍した後に編曲家となり、「出発の歌」(上條恒彦)、「神田川」(かぐや姫)、「私は泣いています」(りりィ)「結婚するって本当ですか」(ダ・カーポ)など数々のヒット曲を手掛けます。

前記の所有アルバムのうち、

五輪真弓のファーストアルバム「少女」(1972年)では、異例のアメリカでの収録中、キャロルキングらあちらの参加ミュージシャンにはコードだけの譜面提供だったらしく、最終の詰めの部分はアレンジャーとして同行した木田が全て指示を出して完成させたようです。

かぐや姫の名曲「神田川」(1973年)では、木田が編曲をつとめ、収録では木田が全トラックを一通り演奏した後に、鈴木慶一率いるはちみつぱいから武川雅寛をバイオリンで招集。これがあの有名なイントロになります。
最終的に木田が初期の六文銭のメンバーでもあった石川鷹彦のマンドリンを足して「神田川」は完成します。

ノースが入れ込んでる沢田聖子のファーストアルバム「坂道の少女」(1980年)では収録10曲中8曲を木田が編曲しています。

中津川の人間なんて2時間熱唱から3か月後にリリースされた吉田拓郎のアルバム「人間なんて」(1971年)
ここから新しい日本のフォークがはじまります。

ディレクターは木田と加藤和彦。
アレンジャーや参加ミュージシャンに小室等、遠藤賢司、松任谷正隆、林立夫、小原礼など、この後日本のロック&ポップスの礎を築くことになる面々が起用されています。
木田は収録曲「笑えさとりし人ヨ」で「木田高介とア・リトル・モア・ヘック」として演奏にも参加しています。

ジャックスのマルチプレイヤーとして当時既に名の知れ渡っていた木田を当時のフォーク系のミュージシャン達が必要としていたことは事実だったようで、木田高介、瀬尾一三、一説では石川鷹彦を加えた三人無くしてその後のニュー・ミュージックのサウンドは語れないと言われています。

ジャックス時代、またナターシャセブンを初めとするミュージシャン時代、そして編曲者・プロデューサー時代を通じて、決して表にししゃり出ない性格もあってか、多くの人から愛され高い評価を受けた彼ですが、ミュージシャンとしてソロ活動を再開した矢先の1980年5月18日、イルカコンサートの合宿中、山梨県の河口湖沿いにて車を運転中に崖から転落し、同乗していた阿部晴彦と共に亡くなってしまいます。享年31歳。

事故から約1ヶ月後の1980年6月29日、日比谷野外音楽堂で「木田高介・阿部晴彦追悼コンサート」が開かれ、1万人近くのファンが集いました。
この日は明け方には震度4の地震があり、一日中雨模様であったようです。

北山修が泣きながら「帰って来たヨッパライ」を、オフコースは「いつもいつも」をアカペラで、吉田拓郎は「アジアの片隅で」を30分にわたり熱唱、かぐや姫はこの日のために一日限りの再結成をしています。
余談ですが宇崎竜童が舞台に出てきては何枚も写真を撮っていたとか..

<参加ミュージシャン>

ザ・ナターシャー・セブン(高石・坂庭・城田と石川鷹彦)、オフコース(小田・鈴木・大間・清水・松尾)、かぐや姫(南・伊勢・山田)、風(伊勢・大久保)、五つの赤い風船(西岡・長野・東・藤原)、吉田拓郎、小室等、遠藤賢司、斉藤哲夫、下田逸郎、かまやつひろし、イルカ、りりィ(国吉良一+土屋昌巳)、はしだのりひこ、ダ・カーポ、山本コータロー、五輪真弓、加川良、沢田聖子、ダウン・タウン・ファイティング・ブギウギ・バンド(坂庭の弟も出演)、金子マリとバックスバニー、チャー、スピードウェイ(のちのTMネットワーク)、スクランブル・エッグ、上条恒彦、倍賞千恵子、吉川忠英、瀬尾一三、岡本おさみ、喜多条忠。

こんな豪華な面子が一同に介したコンサートは後にも先にも無いと言われているようですが、木田高介氏の功績がいかに大きかったかが伺い知れます。

木田氏の葬儀に参列した五輪真弓が、奥さんの悲嘆ぶりを目の当たりにし、それを基にして作った楽曲が後に彼女の代表作となる「恋人よ」です。

木田氏の歌を全て封印してきたという奥様が、2008年のジャックス40周年記念ボックスアルバム発売の承諾をレコード会社から求められた際、娘さんとともにCDを聴き、28年の時を経てようやく封印を解かれたことを自身のブログで綴られています。

そのブログで知ったのですが、2002年、イルカ30周年記念アルバム「こころね」のライナーに木田氏のことが綴られているようです。
着いたばかりでまだ開封してませんが、「雨の物語」「いつか冷たい雨が」...好きです。

この記事を近々UPしようと書き溜めていた矢先、こんな偶然もあろうかと思しき「TV番組」に遭遇し、ちょいと興奮気味に急いで記事をまとめてみました。

続きのTV編はまた後で...


イルカ 「雨の物語」



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