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2008.08.17 幕末の侍
今、自分的にプチブームの「菅江真澄」や「羽州街道」そして「戊辰戦争」のこと。。。
つい数ヶ月前までは全く知る由も無く、特に大館史の冊子を見る中で知った戊辰戦争なんて、その言葉自体も読めなかったし、思えば幕末・薩長とか会津藩・白虎隊とかは知ってたものの、今から140年前にこんなにも身近なところで戦争があったとは正直驚きでした。

東北諸藩を敵に回してしまった秋田藩に対する仙台藩・南部藩・庄内藩の攻撃の様や自分の家の近くにも激戦地といわれる史跡が幾つもあることを思うと、戦国時代から繋がる同じ民族同士の戦の歴史の悲しさを感ぜずにはいられません。

そうしているうちに、何気に見過ごしていた戊辰戦140周年の企画特集が地元新聞で取り上げられていることを知りました。
それも半年も経過してから...(汗)
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と同時に、私の心の中にあった一つの疑問がふつふつと頭を持ち上げてきたのです...

というのは、昔、幕末期の頃にウチにはお侍さんが何人か居たようで、その中に我が家の初代と思しき先祖も居り、その方は遠く津軽半島の竜飛の地で斬られて死んだらしく、私が小学生の時に家を建て替えた時にはまだ刀が何本も残っていた...と母がよく話していたことを思い出し、なんで竜飛くんだりまで行って斬られなければならなかったのか..と漠然としか思っていなかったことが、ここにきて、もしかして戊辰戦争と関係があったんじゃないかと思うようになったわけです。

詳しいことは母も分からないらしく、親戚に聞くまでもないし、と、自分で市の郷土博物館や図書館に行って色々調べたんですが、当時の津軽藩や特に津軽半島の情勢に関する記述に乏しく、後に野辺地戦争後の南部藩との拘わりは下北半島に限定されちゃってるし、もしかすれば、ロシア軍艦や土方歳三が死んだ函館戦争と関係あるのか?、まさか無頼の徒でもあるまいが、わけあって最果ての地でなにかの事件に巻き込まれたのかもしれない?
はたまた、竜飛(たっぴ)じゃなくて当時の敵南部藩の安比(あっぴ)地方だったりして?
はじめから戊辰戦争とは関係無いのかもしれないし..と想像は膨らむ一方です。

いずれにしても、当時から乏しいカマドであったことでしょうから、どっちにしても下級武士とか平侍までも遠い、片田舎の一侍であったんでしょう。
ちなみに名前はお侍さんらしい名前です。
その方の息子にも同じ名前を付けています。
私の父も全く同じ名前です!

こんなこともあって、幕末の庄内藩の下級武士をモデルにした「たそがれ清兵衛」のDVDも観ました。
戊辰戦争との拘わりは、清兵衛(真田広之)の娘(岸恵子)が戊辰戦争で鉄砲の流れ弾に当たって死んだ父の墓の前におばあちゃんになって現れ昔を回顧する場面のみでしたが、この清兵衛に自分の先祖を重ね見たのは言うまでもありません。

墓標の一番最初にはこの先祖の名前しか書かれておりません。生年没年不詳です。
妻は文政9年(1826)年生まれで戊辰戦争の年は42歳。
同じ名前の長男?は嘉永2年生まれで戊辰戦争の年には19歳だったようです。

竜飛や安比どちらでも、ずっと離れた地で命を落とした先祖に対し、今頃になってではありますが、心をこめて手を合わせることができます。
13日の墓参りにもいい先祖供養ができました。
どうでもよいことではありますが、自分にとっては思い浮かべる術を持たない先祖との繋がりを今回の大館の歴史を探す中で見つけたことは本当に良かったと思っています。

竜飛にはいつか行こうと思っています。(バイクでは行ってますが)
もしかして安比?(笑)、には今月末に行きます。

戊辰戦争...結構奥が深いです。面白い。
羽州街道...ロマン漂います。
菅江真澄...デジイチかついで「菅江真澄の足跡写真コンテスト」の応募写真を撮りたいと思ってます。

しばらくプチブーム続きそうです!
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